50代男性のセミリタイア日記

50代男性のセミリタイア日記です。

当方の経歴について(4) 大学進学

希望学部は最初工学部でした。

理数科で一番多い進学先でしたし、日本は工業立国との思いもあり物作りも好きでした。 

高校理科の選択科目は化学が必須でもう一つは工学部を念頭に物理を選びました。


しかし、高3になって農学部に進路変更しました。

理由は環境問題に興味が出てきたからです。


現役では中四国の農学部がある大学を受験しましたが、浪人を経て、もっと偏差値の高い大学が視中に入ってきました。


しかし、ここで困った問題が起きます。

現役、予備校では理科は物理、化学を選択してましたが、農学部では受験に生物が必須な大学もあります。

よって受験出来ない大学もありました。


色々調べた結果、北海道大学はちょっと変わった入試制度で化学系で入学して、2年時の学部選択で農学部に行けることが分かりました。


南国?育ちの私は雪国生活への憧れだけで、北大の受験を決めました。

幸いにも受験は上手く行きました。香川県からは4名合格者がいたのを覚えています。


当方の経歴について(3) 予備校時代その1

大学に不合格となり浪人して地元の予備校に通いました。


前回予備校で特待生になったと書きましたが、入学テスト?を受けたら授業料半額でいいと通知がありました。
うる覚えですが授業料25万位だったと記憶しています。
(現在予備校の学費は100万/年位らしいです)


学費だけで選んだ予備校でしたが、当時四国には予備校は同系列の2校(高松と丸亀)しかなく、四国中の進学校から生徒が集まっており、お互い切磋琢磨できる環境でした。


話は大学受験に戻りますが、クラスメイトの一人が現役で東大に受かりました。
(クラスメイトは浪人含め東大、京大、東工大、早稲田、慶応に合格し母校では過去にない実績を残しました)
彼は模試でも全国上位だったので、受かっても不思議でなかったのですが、自分はクラスメイトが東大に受かることを想像できませんでした。
田舎の高校からでも勉強頑張れば東大に受かると分かったことは予備校時代の励みになりました。


予備校時代は朝から晩まで勉強付けの日々を送り、秋頃には中堅国立大学でB判定を貰える位の成績になりました。
今振り返っても人生で一番勉強した1年だったと思います。


話は飛びますが、予備校近くにおいしいうどん屋がありよく利用していました。
社会人になり帰省時に久しぶりに行こうとしたら、すでに閉店していました。
300円(うどん大+天ぷら1個)位でおなか一杯になったのを覚えています。


すいません予備校時代の話も次回に続けます。
読んで頂きありがとうございました。

当方の経歴について(2) 高校への進学その2

高校の理数科は男子30名、女子7名(だったかな?)の圧倒的な男子クラスでした。
受験の時に初めて”あれっ?理数科って男子が多いの?”に気づきました。
大学でも理系に進んだので、圧倒的に男子比率が高い人生を送ることになりました。


近隣中学成績トップクラスの生徒が揃っていましたので、成績は下の方でした。
3年間クラス替えもなくずっと同じメンバーでしたが、進学クラスとは言え田舎のためか?“のほほん”とした感じのクラスだったと思います。


理数科の大学合格実績は半分位が近隣の国立大学&関関同立への進学でしたので自分も頑張って地方国立大学に進学できればと考えていました。


ところが自分の学年は当たり年で、地方国立大学どころか帝国大学や早慶に数名が合格しました。


自分は地元国立大学を受験しました(理系でしたのでお金の掛かる私立は論外でした)が、残念ながら不合格でした。


うどん県では浪人生に高校の空き教室を提供する制度もありましたが、自分は地元で唯一の予備校に特待生待遇で行けることになり予備校に進みました。
この選択がまた人生に大きく影響しました。


今回も読んで頂きありがとうございました。